290円日記
2011年11月27日日曜日
SUNDAY OF GOLD
日曜日が好きだ。
土日休みの生活を送るようになってからは日曜日に感謝するようになった。
日曜は7時半には起きて、寝ぼけ眼でタミヤのミニ四駆や渡辺徹のファミコン番組を見て、
8時からはウィンスペクターとかエクシードラフトを見て、8時半からはビックリマンとか
ゴーストスイーパーとか見て、9時からはドラゴンクエストを見て、10時からは仮面ライダーを見て…
おお、書いててちょっと目頭が潤んできた。なんという黄金の日曜日。
だが、昔はよかったとかなんとかしみじみと言ってくれるつもりはない。
今の子供たちもきっと俺と同じように、黄金の日曜日を楽しみに毎日クソくだらない学校に通っているのだ。
そして俺はもう大人なのだ。
大人には大人らしい日曜の過ごし方がある。
朝起きたらまずカーテンを開けよう。
そしてトーストを一枚食って、コーヒーを入れて、一服をかましたあとは、
午前中のうちに掃除や洗濯をすませる。
洗濯物を干したら朝風呂に行くのだ。
朝風呂帰りにはどこかの喫茶店で一服かまして、
その頃にはもうお店は空いているので服屋や本屋をぶらぶら見て回るのだ。
それで家に帰る途中に晩御飯の材料を買うのだ。
家に帰ったら昼寝をするのだ。
昼寝から覚めたら晩御飯の準備をして、できたらちょっと一息入れて
昼間に買ってきた本でも読もう。
その後、晩飯を食べたら紅茶を入れて一服をかます。
一服したら風呂に入って、映画でも見て、眠たくなったら寝るのだ。
これが理想の日曜日の過ごし方だ。
誰も異論はあるまい。
なんせ俺はこの日曜の過ごし方を、おねがいマイメロディの「マイメロの日曜日」という話から学んだのだから。(マイメロは一服する代わりにお菓子的なものを食べる)
これを見たときは衝撃的だった。人生の答えを発見した気分だった。
そしてそれ以降、この日曜日のすごし方を実践しようと心がけているが、
どうしてなかなか簡単に見えて難しい。
はっきり言ってこれを全て達成できたことなんて一度たりともないが、
それでもこの理想の日曜日を過ごせるようにすることが俺の目標だ。
それが達成できたとき、俺が体験したあの黄金の日曜日は再び俺に訪れる。
さあ今日は日曜の朝だ。早速はじめようじゃないか。
土日休みの生活を送るようになってからは日曜日に感謝するようになった。
昔は土日祝日朝昼夜関係ない霧のような生活だったので、何のありがたみもなかった。
でも、もっと昔はやっぱり日曜が好きだった。
日曜は7時半には起きて、寝ぼけ眼でタミヤのミニ四駆や渡辺徹のファミコン番組を見て、
8時からはウィンスペクターとかエクシードラフトを見て、8時半からはビックリマンとか
ゴーストスイーパーとか見て、9時からはドラゴンクエストを見て、10時からは仮面ライダーを見て…
おお、書いててちょっと目頭が潤んできた。なんという黄金の日曜日。
だが、昔はよかったとかなんとかしみじみと言ってくれるつもりはない。
今の子供たちもきっと俺と同じように、黄金の日曜日を楽しみに毎日クソくだらない学校に通っているのだ。
そして俺はもう大人なのだ。
大人には大人らしい日曜の過ごし方がある。
朝起きたらまずカーテンを開けよう。
そしてトーストを一枚食って、コーヒーを入れて、一服をかましたあとは、
午前中のうちに掃除や洗濯をすませる。
洗濯物を干したら朝風呂に行くのだ。
朝風呂帰りにはどこかの喫茶店で一服かまして、
その頃にはもうお店は空いているので服屋や本屋をぶらぶら見て回るのだ。
それで家に帰る途中に晩御飯の材料を買うのだ。
家に帰ったら昼寝をするのだ。
昼寝から覚めたら晩御飯の準備をして、できたらちょっと一息入れて
昼間に買ってきた本でも読もう。
その後、晩飯を食べたら紅茶を入れて一服をかます。
一服したら風呂に入って、映画でも見て、眠たくなったら寝るのだ。
これが理想の日曜日の過ごし方だ。
誰も異論はあるまい。
なんせ俺はこの日曜の過ごし方を、おねがいマイメロディの「マイメロの日曜日」という話から学んだのだから。(マイメロは一服する代わりにお菓子的なものを食べる)
これを見たときは衝撃的だった。人生の答えを発見した気分だった。
そしてそれ以降、この日曜日のすごし方を実践しようと心がけているが、
どうしてなかなか簡単に見えて難しい。
はっきり言ってこれを全て達成できたことなんて一度たりともないが、
それでもこの理想の日曜日を過ごせるようにすることが俺の目標だ。
それが達成できたとき、俺が体験したあの黄金の日曜日は再び俺に訪れる。
さあ今日は日曜の朝だ。早速はじめようじゃないか。
2011年7月8日金曜日
ゆめにっき
夢はその人の精神状態を表すというけど
最近見た夢がなかなか強烈で、しかもかなりはっきり覚えてたので書いておこうと思う。
夢診断ができる人はぜひ診断して欲しいのですがどうでしょうか。
俺は神戸に帰省していて、夜更けの見知らぬ中華料理屋に高校の友達といた。
そのうちみんな次の用事があったり朝が早かったりで、だらだらと解散することになった。
真っ暗な道を7.8人連れだって歩いていたが、みんないつのまにか消えて4.5人になった時(誰が初めにいて誰がいなくなったかは全然分からなかった)、俺が高校の頃まで住んでた灘区のマンションの前を通った。
その時、ふと後ろを見ると幼稚園の頃からずっと一緒のマンションに住んでいた友達のユタカくんがいて(彼は高校は違ってそこから疎遠になってしまった)、俺には気づいていたはずだが、何の挨拶もなくマンションに帰っていった。
そのまま真っ暗な道をずっと南下して、国道42号線の近くまで来た時、これまた幼稚園の頃から一緒のマンションで友達だったが、やはり中学くらいから疎遠になってしまったユウタがいることに気づいた。
お互い超久しぶりだったが、どちらも話しかけることなく、俺は「何でさっきユタカくんと一緒にマンションに帰らなかったんだろう」と思っていたら、ユウタが「今、月28万円もらってるが、毎日16時間働いている」というようなことを言って、道沿いのボロいアパートの中に消えていった。
それを見ながら俺は「ああ、ユウタも一人暮らしを始めたんだなあ」と思った。
気がつくと、俺とキハラという高校の頃の友人の二人きりになっていたが、やはりお互いあまり親しくないので無言のまま歩き続けた。
42号線までくると次は御影に向かう為に東に進んだ。
帰り道には通らないはずの海の近くの工場地帯辺りで、キハラは同棲している彼女に電話すると言って、そのまま帰ってこなかった。
とうとう俺は一人になった。
気づくと、周りはやけに明るかった。
もう朝かと思い、iPhoneの時計を見るとまだ深夜1時半だった。
空を見上げると、やはり真っ青だったがところどころどぎついピンクの斑点がかかっていた。
俺はツィッターに「まだ深夜1時半なのにこんな明るい!」と投稿しようと思い、空の写真を撮り始めた。
俺はいつも夢の中ではとてもジャンプ力があって、阪神の高架を飛び越しながら空の写真を撮っていたが、ふと北を見ると神戸の街並みが半分水没している光景が見えた。
あそこまで行ってみようと思い、そのまま超ジャンプを繰り返していると、見たことあるような、ないような河川敷に着いた。
そこはたくさんの人でごった返していた。
その多くは子供とベビーカーを引く女の人とカメラをもった報道陣だった。
周りが見えないくらいに風船もバンバン飛んでいて、その中にちらほらピンクの鳩がいた。
そのピンク色の鳩は汚水の影響で近頃増えたのだと誰かが言っていたのが聞こえた。(俺が思っただけかも知れない)
そのうち河川の向かいにある市営団地で大きな火事が起こっている、という話が聞こえた。
それを聞いた瞬間、俺はなぜか俺の家が燃えているのだと思い込み、急いでその市営団地に向かった。
団地の敷地は真っ暗で巨大な迷路のようになっていた。
入り口を探している間にいきなり迷路の角から出て来たカメラを持った記者にコメントを求められたりしたが、無視をして走っていると、団地の中に入ることができた。
団地の中は巨大な上にどこも真っ黒焦げで、自分の家が何階にあるのかも分からなかった。
俺は母親が無性に心配になって階段を登っては廊下を突っ走って、また階段を登るを繰り返した。
その間に、燃えた部屋の前で刑事らしき人が手を合わせて目を瞑っているのに何度かすれ違った。
そのうちにある部屋の前に刑事が集まって、中を覗きこんでいるのが見えた。
俺はその刑事達の中に俺の母親がいることを見つけた。
俺はもう嬉しくて「お母さん!」と言いながら母親に抱きついた。
母親も泣きながら喜んでくれた。
部屋の中を見ると中は全く燃えておらず自分の家ではない、やたら広い玄関に、真っ赤なものが飛び散っていたのが目に入った。
俺はそれを血だと思い、一瞬不安になったが、よく見るとそれはさくらエビで、よく聞くとパニクった母親が落としたようだった。
俺は安心して、そこで目が覚めた。
最近見た夢がなかなか強烈で、しかもかなりはっきり覚えてたので書いておこうと思う。
夢診断ができる人はぜひ診断して欲しいのですがどうでしょうか。
俺は神戸に帰省していて、夜更けの見知らぬ中華料理屋に高校の友達といた。
そのうちみんな次の用事があったり朝が早かったりで、だらだらと解散することになった。
真っ暗な道を7.8人連れだって歩いていたが、みんないつのまにか消えて4.5人になった時(誰が初めにいて誰がいなくなったかは全然分からなかった)、俺が高校の頃まで住んでた灘区のマンションの前を通った。
その時、ふと後ろを見ると幼稚園の頃からずっと一緒のマンションに住んでいた友達のユタカくんがいて(彼は高校は違ってそこから疎遠になってしまった)、俺には気づいていたはずだが、何の挨拶もなくマンションに帰っていった。
そのまま真っ暗な道をずっと南下して、国道42号線の近くまで来た時、これまた幼稚園の頃から一緒のマンションで友達だったが、やはり中学くらいから疎遠になってしまったユウタがいることに気づいた。
お互い超久しぶりだったが、どちらも話しかけることなく、俺は「何でさっきユタカくんと一緒にマンションに帰らなかったんだろう」と思っていたら、ユウタが「今、月28万円もらってるが、毎日16時間働いている」というようなことを言って、道沿いのボロいアパートの中に消えていった。
それを見ながら俺は「ああ、ユウタも一人暮らしを始めたんだなあ」と思った。
気がつくと、俺とキハラという高校の頃の友人の二人きりになっていたが、やはりお互いあまり親しくないので無言のまま歩き続けた。
42号線までくると次は御影に向かう為に東に進んだ。
帰り道には通らないはずの海の近くの工場地帯辺りで、キハラは同棲している彼女に電話すると言って、そのまま帰ってこなかった。
とうとう俺は一人になった。
気づくと、周りはやけに明るかった。
もう朝かと思い、iPhoneの時計を見るとまだ深夜1時半だった。
空を見上げると、やはり真っ青だったがところどころどぎついピンクの斑点がかかっていた。
俺はツィッターに「まだ深夜1時半なのにこんな明るい!」と投稿しようと思い、空の写真を撮り始めた。
俺はいつも夢の中ではとてもジャンプ力があって、阪神の高架を飛び越しながら空の写真を撮っていたが、ふと北を見ると神戸の街並みが半分水没している光景が見えた。
あそこまで行ってみようと思い、そのまま超ジャンプを繰り返していると、見たことあるような、ないような河川敷に着いた。
そこはたくさんの人でごった返していた。
その多くは子供とベビーカーを引く女の人とカメラをもった報道陣だった。
周りが見えないくらいに風船もバンバン飛んでいて、その中にちらほらピンクの鳩がいた。
そのピンク色の鳩は汚水の影響で近頃増えたのだと誰かが言っていたのが聞こえた。(俺が思っただけかも知れない)
そのうち河川の向かいにある市営団地で大きな火事が起こっている、という話が聞こえた。
それを聞いた瞬間、俺はなぜか俺の家が燃えているのだと思い込み、急いでその市営団地に向かった。
団地の敷地は真っ暗で巨大な迷路のようになっていた。
入り口を探している間にいきなり迷路の角から出て来たカメラを持った記者にコメントを求められたりしたが、無視をして走っていると、団地の中に入ることができた。
団地の中は巨大な上にどこも真っ黒焦げで、自分の家が何階にあるのかも分からなかった。
俺は母親が無性に心配になって階段を登っては廊下を突っ走って、また階段を登るを繰り返した。
その間に、燃えた部屋の前で刑事らしき人が手を合わせて目を瞑っているのに何度かすれ違った。
そのうちにある部屋の前に刑事が集まって、中を覗きこんでいるのが見えた。
俺はその刑事達の中に俺の母親がいることを見つけた。
俺はもう嬉しくて「お母さん!」と言いながら母親に抱きついた。
母親も泣きながら喜んでくれた。
部屋の中を見ると中は全く燃えておらず自分の家ではない、やたら広い玄関に、真っ赤なものが飛び散っていたのが目に入った。
俺はそれを血だと思い、一瞬不安になったが、よく見るとそれはさくらエビで、よく聞くとパニクった母親が落としたようだった。
俺は安心して、そこで目が覚めた。
2011年5月30日月曜日
家出少年1
昔からよく家出をしている。
ウチは母親と弟の三人暮らしだったのだけど、俺が母親によく怒られた。
中二くらいの時、塾をサボったのがバレて怒られ、そのまま深夜に家出した。
当時は震災から2年ほど経っていたので神戸も復興していたが、まだ至るところに仮設住宅が残っていた。
ウチも住んではいなかったが、2年前に当たった仮設住宅をまだ持っていて、そこのカギを2.3日前に発見していた俺は迷うことなくそこに向かった。
多分そのカギを見つけた時にチャンスを伺ってたのだと思う。
これからはここで一人で生活すると決めて、学校の近くの新聞屋に新聞配達で雇ってもらおうと思ったのを覚えている。
次の日は学校を休んで街を彷徨っていたが、翌々日の朝に探しに来た母親にあっさりバレて連れ戻された。
それまで不良でもなく毎日普通に家に帰っていた俺が急にいなくなったのでやはり心配したようで、学校の担任にも相談をしたようだった。
それから担任が妙に優しくなったのはイヤだったが、絶対に俺のことなど心配しないと思っていた母親が俺を見つけた時に嬉し泣きしていたのを見て、悪いことをしたなと思った。
ウチは母親と弟の三人暮らしだったのだけど、俺が母親によく怒られた。
中二くらいの時、塾をサボったのがバレて怒られ、そのまま深夜に家出した。
当時は震災から2年ほど経っていたので神戸も復興していたが、まだ至るところに仮設住宅が残っていた。
ウチも住んではいなかったが、2年前に当たった仮設住宅をまだ持っていて、そこのカギを2.3日前に発見していた俺は迷うことなくそこに向かった。
多分そのカギを見つけた時にチャンスを伺ってたのだと思う。
これからはここで一人で生活すると決めて、学校の近くの新聞屋に新聞配達で雇ってもらおうと思ったのを覚えている。
次の日は学校を休んで街を彷徨っていたが、翌々日の朝に探しに来た母親にあっさりバレて連れ戻された。
それまで不良でもなく毎日普通に家に帰っていた俺が急にいなくなったのでやはり心配したようで、学校の担任にも相談をしたようだった。
それから担任が妙に優しくなったのはイヤだったが、絶対に俺のことなど心配しないと思っていた母親が俺を見つけた時に嬉し泣きしていたのを見て、悪いことをしたなと思った。
2011年3月12日土曜日
地震skype2
toshihiko hiraguchi 17:22
もし少しでも逃げろってニュアンスがあったら全力で逃げるべき
17:23
静岡くらいまで広がるらしいからな…
永井 17:23
専門家のおっさんがちょっと泣きそうなってるからな
toshihiko hiraguchi 17:24
最初大丈夫です!やったんが
17:24
もれてる可能性あるけど、心配ないですになって
17:24
ちょっと情報がないんでわからないですになってるもんな
永井 17:25
ホンマに分からんのやろな
toshihiko hiraguchi 17:25
しかし、画面みるだけでは
17:25
完全になったらあかん姿になってたが…
永井 17:32
どうもやばいな。公式会見で判断するか…
toshihiko hiraguchi 17:32
会見が延期言うてるしな…
永井 17:37
いや始まるらしい
toshihiko hiraguchi 17:38
かえってこい
17:38
最悪の状況言うてる
永井 17:38
帰るか…
toshihiko hiraguchi 17:39
いや、関西が大丈夫なんかはわからんけど…
17:39
すくなくともそっちよりは死ぬ確立低いんじゃないかと…
永井 17:40
風向き次第か…
toshihiko hiraguchi 17:41
まあ、仮にそうなったら
17:41
東京あかんようになったら日本自体終わりやろけど…
永井 17:42
これはホンマどう収めるんやろ
toshihiko hiraguchi 17:43
収まるんかな…
17:44
神戸んときとは比べ物にならん気がする…
永井 17:44
ならんな
toshihiko hiraguchi 19:00
おまえのことは忘れんぞ…
もし少しでも逃げろってニュアンスがあったら全力で逃げるべき
17:23
静岡くらいまで広がるらしいからな…
永井 17:23
専門家のおっさんがちょっと泣きそうなってるからな
toshihiko hiraguchi 17:24
最初大丈夫です!やったんが
17:24
もれてる可能性あるけど、心配ないですになって
17:24
ちょっと情報がないんでわからないですになってるもんな
永井 17:25
ホンマに分からんのやろな
toshihiko hiraguchi 17:25
しかし、画面みるだけでは
17:25
完全になったらあかん姿になってたが…
永井 17:32
どうもやばいな。公式会見で判断するか…
toshihiko hiraguchi 17:32
会見が延期言うてるしな…
永井 17:37
いや始まるらしい
toshihiko hiraguchi 17:38
かえってこい
17:38
最悪の状況言うてる
永井 17:38
帰るか…
toshihiko hiraguchi 17:39
いや、関西が大丈夫なんかはわからんけど…
17:39
すくなくともそっちよりは死ぬ確立低いんじゃないかと…
永井 17:40
風向き次第か…
toshihiko hiraguchi 17:41
まあ、仮にそうなったら
17:41
東京あかんようになったら日本自体終わりやろけど…
永井 17:42
これはホンマどう収めるんやろ
toshihiko hiraguchi 17:43
収まるんかな…
17:44
神戸んときとは比べ物にならん気がする…
永井 17:44
ならんな
toshihiko hiraguchi 19:00
おまえのことは忘れんぞ…
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